【HSPを受け入れられない親】生きづらいのは”親子の役割逆転”が原因かも?

自分づくり
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親子の役割逆転とは?

本来は、親の愛を必要としているのが子供。しかし親が子供にこの「必要な愛」を求めることです。
子供は親に愛されていないというより、愛を”搾取されている”という状態になります。厄介なことは、親の方は自分は子供が望むことをしている素晴らしい親だと思い込んでいる事です。自分は“愛の人”だと思い込んでいるのです。HSPは人との境界線が曖昧であるという特性上、この“親の役割”を親から求められる幼少期、現在を過ごしている可能性が高いのでは?考えられます。

具体例

「自分のやりたい事ではなく、親のやって欲しい事の中から選ぶように求められた」
「親に愚痴の相手や、親を褒めることや尊敬することを求められた」
「親への気遣いがないと酷い事を言われたり、不機嫌な態度を取られた」
「親の相談に対して、自分の意見を言うと嫌がられた」
「ありのままの自分を受け入れてくれない」
「親の発言と、親自身が心で求めている事に相違がある」
と感じたことはないでしょうか?

これはつまり、経済的・肉体的・心理的に自立できてない子供を使って、親は自分の「昔の心の傷」を癒している状態なのです。

子供自身はどう育つのか?

親からの甘えと支配を愛だと思い込んで、自身が親になった場合には今度は子供に”親の役割”を求めます。親と過ごす時間が多いうちは、親の愛(と思い込まされているもの)に対して嫌悪感を覚えます。これは親の愛情飢餓感が、子供に伝わっているからです。未熟な子供にとって”親の役割”を求められる事は、望ましくない家庭環境であり、自我の成長に影響を与えます。

どういった人が子供を親に仕立てあげるか?

親は自分の心を癒すために、子供から愛を搾取すればするほど、自分はもの凄い愛を持っていると思い込んでいます。子供から愛を搾取すれば、親の精神が大人になるかというとそうではありません。
親子の役割逆転をする大人は

  • 認められたいのに、競争社会で生きていけないと感じている人。負け組だと感じている人。
  • 良い人間関係を作ることに失敗し続けている人。話をする相手は主に身内や職場の人しか居ないが、それを心から望んでそうしている訳ではないと感じている人。

そういった人たちはダメな自分と向き合わず、その問題から逃げ続けています。ダメな自分を受け止められていない親自身は、自分を無価値だと思い込んでいます。だから、自分の子供を親に頼ることしかできない「弱者」という関係性を作りたいのです。そうして子供を弱者として仕立て上げることで、親は自分を価値のある存在だと子供に売り込むことができるのです。

HSPの生きづらさを改善するSTEP1:物理的に離れる

解決は1つだけ、離れること。まずは、家族がすぐ会いに来れないような所へ引っ越すこと。もし自分にとって、親からの連絡が多いと感じるならば、着信拒否や電話番号を変えるなどの強行手段も必要と考えましょう。

「育ててくれた恩がある」「親不孝なことだ」と強く感じている人にこそ勇気を持って欲しいです。それは、親と物理的に離れたからと言って、自分の心に深く潜り込んでいる親との”心理的な分離”はとても時間が掛かるからです。心の葛藤が無くなるまでに、数年~数十年と掛かることもあります。

愛されたいから愛を与え続けたのに、愛されない。という現実を受け止めるのはとても辛いことです。いっそ家族ではない、他人であれば楽だったでしょう。私自身も親の役割を求められていたので、そう感じていました。

親子の役割逆転をする親は多くの場合、子供が離れようとすると執着してきます。こういった行動は、相手を好いている訳ではないのです(当事者にとっては受け入れがたい事ですが…)。

親の役割を求められる子供は、兄弟・姉妹のどちらか1人に偏りやすい傾向があります。無条件で頼れる子供を必要としているので、子供が親に何かを期待する事を許しがたいと感じています。親は子供に近づこうとすると敵対心を持ち、敵対心から離れるとまた近づきたくなっているのです。子供の私にとっては、頼られながらも恨みの感情を持たれているという状況は不可解でしかありませんでした。

離れた先に

親と離れた後にも、子供自身には「親に愛されたい」という執着が残ります。
おもに執着は

  • その人と築いてきた関係性に執着
  • その関係性によって与えられていた自分の役割や立場、存在理由への固執 から生まれます。

人は悲しみを乗り越えるために、フロイトの『喪の作業』という過程をたどります。

『喪の作業』とは…
ステップ1:否認の段階。「愛されていない」という現実を認めようとしない。
ステップ2:対象の喪失は認めるが、激しい混乱、失意、不安を覚える。「なぜ私だけがこんな目に」と怒る人。「親の愛情」を取り戻そうとする人。
ステップ3:現実を受け止め理解し、新しい対象となる物事や人を発見する。親からの愛情ではなく、親以外からの愛情を見つける。
ステップ4:生活の再建。親は親、自分は自分として生きていける。

HSPの生きづらさを改善するSTEP2:自分と向き合う

自己肯定する

私が自分を肯定した最初の1歩は、”自分は何の為に生きてるんだろう”と疑問を抱いたときでした。ずっと考え続けてみたけど、所詮しょせんは誰しもただの人間で、何ともない生物のひとつなんだと思いました。何故か人間は特別という考えが社会にゆるく広がっていて、それが自分の固定観念みたいになってただけ。だったら生きる理由は、自分で作って良いんじゃない?って思ったんです。

“生きたいから生きる””死にたくないから生きる”そういうシンプルな理由を自分で決めて生きていく。誰かに生きて良い理由を求める必要もなく、私は自分が生きたいから生きている。自分で生きる理由を決めることが、私なりの自己肯定だったんだと今は思います。

ダメな自分を受け入れる

私は、

  • 自分の感情をノートに書き出すこと
  • 自分の状態を知るためになるべく多くの本を読むこと をしました。

自分の気持ちがスッキリする事、自分もこういう所あるなぁと客観視できる方法であれば、書く・読む以外の方法でも良いと思います。いろんな仕事に挑戦してみるのも良いです。
仕事を通して、自分がしたくないこと・頑張っても人並みにすら出来ないこと、気づいていなかった自分の才能に気づくことができます。頑張っても人並みに出来ないものを知ることは、ダメな自分を受け入れる為の道を歩ませてくれます。

時に、自分が持っている才能は「これだけしかない」と感じて、その現実はなかなか受け入れがたいものでもあります。しかし、世の中は大半が凡人で、私も凡人。自分がすごいと思ってるあの人も凡人。でもそれぞれに、実は才能がある。
その才能は「好きでやってる事」や「今まで多くの時間を割いてきた事」がそれに当てはまるのに、もっと沢山の才能を持とうとしている。新しい才能を探すってのは見つかった時は確かに楽しい、自分の才能を活かす為に必要なスキルを得るのも良いと思う。ただ、自信を持って才能だって言えるものは1~2つあったら十分。

HSPの生きづらさを改善するSTEP3:他者と向き合う

他者を通して、自分の執着に気づく

私はあまり仏教については詳しくありませんが、ひとつお話をさせてください。仏教では、執着は”苦しみを生み出す原因”と考えられています。自己肯定の障壁となってしまうのが、執着です。執着は、他者比較や自分本位な感情となって現れます。そういった感情が根底にあると、自分とも他者とも素直に向き合うことができません。

自己愛の強かった私は「親から認められる(愛される)ために、何者かにならなくては!」と思っていました。そもそも親の役割を求められた子供は、自分を無価値だと思い込んでいます。だから、他者を巻き込んで価値を作ろうとします。では、欲望を手放せばいいのか?というと、そういう事ではありません。むしろ”執着を手放そうとする心もまた執着”のひとつで、苦しめられる原因を生みだします。

「自分が褒められたい」「自分に注目してほしい」「自分が励まされたい」そういった“他者に依存した執着”を自分の中に見つけていく
美味しいものを食べれば、楽しい気持ちになります。だけど、美味しいものを食べた時に「そんな自分を見て欲しい」という気持ちがあったら、それは他者に依存した執着です。
嫌な人と過ごせば、楽しい時間にはなりません。だけど、誰かにそんな自分を偉いと「褒めて欲しい」気持ちがあったら、それは他者に依存した執着です。
「誰かに何かをして欲しい」という気持ちを優先することは、時に“自分の感覚を大事にしている”つもりにさせてくれます。しかし、他者に依存した執着は「○○ができる私」は良くて、「○○ができない私」はダメ、と条件付きでしか自分を認める事ができません。それでは、子供の心が満たされないままです。癒し方を間違えると、いつまでも満たされないままなんです。

他者との関わり方を見直す

私は誰かに褒められた時、認められた時“頑張ってるよね””偉いね””凄いね”って言われたのを素直に受け取れないって事がありました。何故だろうと考えてみたけど、共通してるのが『その人といる自分が好きじゃない』って事でした。その人と一緒にいる自分が好きか?を考えてみてください。その人と過ごしたことを、誰にも知られなかったとしても、自分は満足するか?考えてみてください。

私は「あと半年しか生きれないのに、嫌な人とも時間を共有するのか?」と聞かれたら、半年の我慢で済むなら一緒に過ごすと思います。でも「あと70年、その人と一緒に過ごさなきゃいけないとしたら?」と聞かれたら、途端に無理だな…と感じて自分の気持ちに素直になろうと思えます。

たどり着く答えの出し方は、色々あっていいと思うのです。ただ答えは決まっていても、問いかけ方に幅を持たせてみると見えてくるものがあります。自分が過ごしたい人と楽しい時間を過ごせているのならば、それを目の前にいない誰かに”凄いと思って欲しい””褒めてほしい”という欲は生まれてはこないのです。

心の成長を見つける

「誰かに話を聞いてもらう前に」「誰かと過ごす前に」立ち止まって、自分は他者に何を求めているのか考えてみてください。他者を「励まし、褒める、思いやる」という気持ちが生まれるのは、そういった自分の心の葛藤が解決してからになります。

“自分を大事にすると、他者も大事にできるようになる”という言葉をよく見かけます。その言葉の意味は何なのか?

『人は自分を愛してる量しか、他者も愛せない』

だから、まず自分を愛しましょうと言う。愛情のコップは、自分と他者へ向けたものどっちにも溜まっているのです。誰かに「何かをして欲しい」という気持ちは、自分への愛情でも、他者への愛情でもありません。そうすると愛情のコップからは水が無くなり、増えることもありません。
日々の小さな出来事から「して欲しい」という気持ちを見つけて、向き合っていくと不思議と愛情のコップは満たされていきます。あなたの人生は、そうして生きやすいものへと変わっていくのです。

参考文献
Amazonl子供にしがみつく心理 大人になれない親たち
Amazonl執着 生きづらさの正体

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